美延昌秀 Masahide Minobe

琴線に触れる

  • 2016年07月14日
  • shigoto

まさにそんな感情を覚えた。

あの日の事をいつか書こうと思い、書かなければいけないと思い続けて、5年の歳月が流れていた・・・


その方は個人で工務店を経営されていた。
会社(弊社)のすぐ近くに自宅兼作業所を構えて、地元で何十年も
堅実に仕事をしてきた方だった。

60代半ばで、亡くなる2年ほど前から闘病生活(抗がん剤治療)をしていた。
少しずつ痩せて副作用で辛そうな日もあったが仕事は黙々と続けていた。

そんな姿勢に頭が下がる思いでいた、ある日のこと。
どんな用事があって作業所に寄ったのかは忘れてしまったが、夕方遅くにお邪魔した。
辺りは暗かったのでの19時頃だったと思う。

少し前から自宅の補修をしたり、自身の作業道具、大型の機械工具等の整理を始めていた。
いわゆる身辺整理をその日もしていた。

きっかけは覚えていないが昔の話をしてくれた。

50年程前、家具職人になるため丁稚奉公で堺にあった作業場で寝泊まりをしながら
仕事をしていたこと、独立してからの苦労話や初めて家具を納品した家の話など。

その話の中で痺れる様なエピソードがあった。

いつものようにお客さんから建具の注文依頼があり
後日、完成した製品をその家に納品しに行った日のこと。

あまりの完成度の高さに感激したお客さんから、今度家を建てるから是非とも
アンタにやってほしいとお願いされてしまう。

勿論、その方は家具職人であって大工ではないので了承出来るわけもなく
初めは断っていたのだが、何度もお願いされるので家など建てたこともないのに受けてしまった。


そして中略するが、いろいろな方の協力を得て、なんとか完成させてしまったのである!

その話の最後に、あそこに見える家やでと指さしてくれた時は、映画でも見ているような
気持ちになってしまった。

話の内容も然ることながら、その話をしている時の瞳の輝きが素晴らしかった。
いきいきとして、少年のような感じさえしたほどだった。

体調が優れず顔色だってけして良くはなかったが、その話をしてくれている間は
本当に輝いていた。
もちろん昔武勇伝や、俺ってスゴイだろ的なテンションではない。

自分のしてきた仕事が認められ、本職でない仕事までも依頼され、任された。
その事がとにかく嬉しかったと言っていた。

仕事をすることの意味や、人生の充実など、その話の中に全てがあるような気がした。
サラッと話してくれたが本当に衝撃を受けた、感激して涙ぐみそうになった。

会社に戻る車の中で、そういうことだったのか生きるって・・・
と独り言をブツブツと漏らしてしまったほどだった。

それからしばらくして本当に亡くなられた、もっともっと色々な話を聞かせてもらいたかった。


合掌

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